忘れもしません。初めてパソコンを触ったのは小学校2年生のときでした。
突然、父親がボーナスで買ってきたのです。NECのPC-6001(愛称:パピコン)という機種でした。確か中古でモニター込みで9万円くらいだったと思います。
最初は父親が入門書(PC-6001はるみのゲーム・ライブラリー (1982年))を見てBASICのゲームのプログラムを打ち込んでいましたが、しばらくするとやらなくなってしまったので、私が代わりに遊んでいました。
入門書のプログラムを打ち尽くしたら、次は電波新聞社の月刊雑誌、マイコンBASICマガジンを見てひたすら打ち込んでいました。
マイコンBASICマガジンは、一般の人が投稿したプログラムの掲載がメインの雑誌です。パソコンの機種別に掲載されており、自分の持っている機種用のプログラムはそのまま打ち込んで実行することができました。
打ち間違えるとエラーになるのですが、原因がよくわからなくて修正するのが大変でした。SYNTAX ERROR(構文エラー)とだけ出ても何が何やら。。
I/Oという雑誌だったと思うのですが、マシン語のプログラムが掲載されていたこともありました。マシン語のプログラムは単なる16進数(0~9の数字とA~Fの英字)の羅列だったので、打ち込むのが無茶苦茶辛かったです。全部打ち込んでは見たものの、動作せず、結局どこを間違えているか分からず諦めました。
マイコンBASICマガジンは時々親に買ってもらっていましたが、たまに、プログラムのみが大量に掲載されている分厚いのが売っていることがあり、これを買ってもらったときは嬉しくて、ひたすら眺めていました。
とくかくゲームが好きだったんでしょうね。投稿された色んなゲームを見るのが至高の喜びでした。自分もこんなの作れるかもと希望に満ち溢れていました。そんなに甘くはありませんでしたが。。
ゲームと言えば、うちにはファミコンがありませんでした。パソコンがあるからダメと言われたからです。
頑張って自分で作ろうとしたものの、スペック的にはファミコンの方が上なので、その差を埋められるようなプログラムを小学生が作れるわけもなく。。
PC-6001でゲームを作ることに挫折してからは、新しいパソコンが欲しいなぁーといつも思っていました。
私はPC-6001がきっかけでコンピューターが大好きになり、大学も情報系に進み、現在はソフトウェア会社に勤めています。後で知ったのですが、私がこのような道を歩むことを、父は狙っていたようです。まんまと操られたようでなんとなく悔しいですが、手に職もつけられたし、感謝しています。
ちなみに大学のハードウェア演習室にPC-6001が置いてあったときは驚きました。多分歴史の遺物として置いてあったのでしょうが、ちゃんとした理由は確認しそびれてしまいました。