無事大学に合格して親に買ってもらったパソコンがEPSON PC-486FE2でした。
このころ、EPSONはPC-9801の互換機を作っており、本家NECのPC-9801よりも安価で販売していました。その中の一台がPC-486FE2です。
同じことができるのなら安い方がいいやということで、互換機を選びました。確かモニター付きで128,000円くらいだったと思います。
この機種は色々パワーアップしてかなり長く使いました。
最初は普通にMS-DOSのPC-9801のソフトを使っていました。
アスキーのツクールシリーズはいくつか買いましたね。
ポリゴンシューティングツクールやポリゴンモデリングツクール、シューティングツクール98 など。
基本的にゲームを作るより、したい方だったので、サンプルを少し遊んだだけでオリジナル作品はほとんど作りませんでした。
少したって、マルチメディアという言葉と共に、Windowsというものがあることを知りました。
流行りもの好きの私はWindowsが使ってみたくなりましたが、PC-486FE2に搭載されていたCPUはIntel 486SX 25MHzであり、Windowsを動かすには非力です。
そこで、オーバードライブ・プロセッサという製品を購入し、486DX4 75MHz相当にしました。これで無事Windows 3.1がさくさく動作するようになり、次のWindows 95も何とか動かせました。
ただ、Windows 95はCPUよりもメモリがネックでした。
PC-486FE2には最大で21.6MBまでしかメモリを積めないのですが、Windows 95を快適に使うには最低32MBは必要だったのでかなり辛かったのを覚えています。
別のパソコンを買ってそちらでWindows 95を使うようになってからは、あまりこの機種を使っていませんでしたが、大学の研究室でFreeBSDなるものの存在を知り、PC-486FE2にインストールしてUnixの世界を楽しんでいました。
Unixといえば、このころはまだLinuxの知名度も低く、FreeBSDかLinuxかという論争がありました。私はどちらかというとLinux派でしたが、FreeBSDのPortsという仕組みは素晴らしいと感じていました。
Portsを使ってアプリをインストールすると、そのアプリが必要とするライブラリなども一緒にインストールしてくれるのです。
今ではLinuxでも同じような仕組みがありますが、当時は必要なライブラリなどを個別にインストールする必要があり、非常に面倒でした。
その後、PC-486FE2は就職するまで手元にあったような気がしますが、時代は完全にWindowsに移行しており、さすがに使い道がなくて最後は粗大ごみで捨てました。
今思うと最期が物悲しいですが、思い出深いパソコンです。