1998年、それまで使っていたLibretto 50を父親が使いたいということで、新しいパソコンを買ってもらえることになりました。
そのとき私が選んだのは↓の富士通のFMV-BIBLO NCIII13でした。確かLAOXで198,000円でした。
写真の出典:https://www.fmworld.net/biz/fmv/product/former/bi9711/bic9711/nc/index.html
以下のリンクをたどると仕様が見られます。
FMV-BIBLO - AzbyClub サポート : 富士通
↓のSONYのPCG-505と大いに迷ったことを覚えています。
写真の出典:https://www.sony.jp/ProductsPark/Consumer/PCOM/VAIO/Note505/index.html
PCG-505は見た目がカッコよかったのですが、HDDが1GBしかありませんでした。このため、実用性を重視してBIBLO(HDD 1.6GB)にしました。
Windows 95とPlamo Linuxのデュアルブートにして、LinuxのLaTeX(ラテフと読みます)で論文書いたりもしていました。
大学の研究室の指導官も同じBIBLOを持っていたので、Plamo LinuxをインストールしてMathmatica(Wikipediaによると数式処理システムだそうです。私は使ったことありません)を使えるようにして欲しいとお願いされたこともありました。
Plamo Linuxは、日本人の方が開発した、その名(Plamo=プラモデル)の通り手作り感満載のLinuxでした。rpmやdeb等のパッケージ同士の依存性を管理してくれるシステムはなく、アプリケーションを使うには、tgzに固められたバイナリモジュールを展開するか、自分でバイナリモジュールを作成する必要がありました。
バイナリモジュールを作る場合、まずインターネットに公開されている ソースコードを入手し、ちまちまとコンパイル・リンクをするわけですが、中々素直にバイナリモジュールができず。。Makefileやソースコードをいじって何とかしようとするのですが、諦めたことは数知れず。。
Plamo Linuxで使用したソフトウェアで一番記憶に残っているのは、Enlightmentというウィンドウマネージャーです。ウィンドウを透けさせたり、ウィンドウ枠をエイリアンの世界っぽくデコレーションしたりして遊んでいました。
このパソコンはとても気に入っていて、社会人になってからも出張のお供などに活躍してくれました。
メモリを最大の96MB、HDDを4GB、OSをWindows 2000にしていたので、仕事でも結構長い間使えましたね。そういえば、セロハンテープで導線を張り付けるという荒業でCPUを133MHzから166MHzにクロックアップしたりもしてました。
いつ頃からか使わなくなり、キャリングケースに入れっぱなしにしていたところ、プラスチックの本体にカビが生えたときは驚きました。このとき初めてパソコンにカビが生えることを知りました。
その後、起動しなくなったので最期は廃棄処分となりましたが、大きさと使いやすさのバランスが非常に良いパソコンでした。
私の中でモバイルノートパソコンを選ぶ時の基準になっていることは確かです。